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| Drへのインタビュー |
徳之島徳洲会病院医師募集 |
| 離島での経験 |
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淀川キリスト教病院産婦人科 谷 均史
大阪出身。昭和59年新潟大学医学部卒業。1年間のスーパーローテーションと小児科、
新生児科研修の終了後、徳之島徳洲会病院のオープニングスタッフ小児科担当で参加。
徳之島に行った理由
中学時代の入院生活で出会った当時5才の「郷野りゅうじ」少年。小児科の病院が無い為
「奄美」からやってきたと聞き、「日本にそんなところがあるのか」と大きな衝撃をうけた。
「島へ行きたい。」願望で四浪して医学部へ、そして徳之島へ。
(後に徳之島で両親と再会)
島で学んだこと・・・・・大きなプレッシャー、そして、大きな人の輪
開院の翌月、900gの未熟児T君が生まれる。島でたった1人の小児科医として、「命す
ら助けられなければ、せっかく来た島に居られない・・・」という大きなプレッシャー。
当時、まだ治験薬であった「人工サーファクタント」を全く面識の無い現宮崎医大教授池
ノ上先生(当時は鹿児島市立病院の五つ子の主治医)に電話をかけ治験の一環としての条
件に分けていただき救命できた。(日本の離島第一号のサーファクタントベビー)この時、
たった一つの薬を運ぶために、本土と島の職員が必死の思いでセスナ機をチャーターし空
輸してくれ、この徳洲会職員の大きな大きな協力の輪に感動。今も忘れられない。
やがて、日が流れ、投薬だけでは治らない、鼻炎や蓄膿や浸出性中耳炎のお子さんを持つ
親御さんから「こんなに通っているのに、全く良くならないじゃないか。」という多くの苦
情を受ける。これも大きな、大きなプレッシャーであった。
東大小児科の先生方の応援に甘え、淀川キリスト教病院へ耳鼻科研修に出していただく。
簡単な外来手術と一般処置、検査をマスターして、多大な予算をいただき、院内に耳鼻科
外来を開設させていただく。耳鼻科は小児科の治療の延長上のやむなき開設だった。当時
の東大小児科の森脇先生にも耳鼻科外来をマスターし手伝っていただいた。開設の日にま
だなれない手つきの私の耳鼻科外来に徳田理事長がやってきて辛い鼻の処置を「俺にやっ
てみろ」といって多くの患者様の前で診察台にすわり、受けて下さった。今も私の心の中
に力強く光り輝いている。
東大小児科の先生方や岸和田徳洲会病院をはじめ多くの先生方が島の医療を支えるために
来島された。一人一人の先生方の姿は今だ忘れることができない。
学んでほしいこと
都会では味わえない「逃げ道の無い医療」:10のうち3しかできなくても0であってはい
けないんだ。という夜間の離島でのトリアージ的な医療の現実。
今行かないと一生離島経験はできない!!
大学時代から数え切れないほど、自称「離島や僻地へ行きたい」学生と医者に出会ってき
たが本当に実行した人間は全く居ない。言う事は決まっている。「研修を終えたら・・・」
「専門を取ったら・・」「専門以外はできないから・・・」「まあ、老後になったら・・・」
徳洲会だから出来ること!これが離島研修、離島体験!!
今度のプログラムについて
どうしても3ヶ月の診療所での診療経営は体験していただきたい。必ず皆さんの大きな力
になると思います。
付録:2004年、900gだったT君と徳之島で再会しました。難の障害も残さず、元気
でした。そして2004年、「郷野りゅうじ」本人とお姉さんにも30数年ぶりに再会。 |
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